2014年3月。男はシンガポールに来ていた。
10年前のあの日、サラリーマン社会からの決別を固く近い、3年後に実行。
今では、完全なる自由を手にして、世界中を旅しながら、サラリーマン時代の何倍もの収入を得ることができるまでに。。
この物語は、この男の人生を次世代に受け継ぐためのものである。
ITエンジニアの年収 <= ITコンサルタントの年収
これは現在の業界の常識。
サラリーマンエンジニアである以上、決して超えられない、コンサルタントの年収。
会社内では「まるで差別されているかの如く」エンジニアとコンサルタントのキャリアプラン、給与体系、各種待遇は全く異なる。
まさに階級制度。現代の士農工商。
エンジニア35歳定年説。
これも業界の常識。
35歳を過ぎたエンジニア達は、今後の人生に多くの不安を抱えている。
高度成長時代の終焉。
自動車産業を中心に発展してきた日本の産業。生産の拠点は今や海外に移ってしまった。
相次ぐ、国内の工場閉鎖。かつて高度成長を支えてきた日本の「重工業世代の」エンジニア達の行く末は・・・
長引く経済不振。
さらに追い打ちをかけるがの如く、長引く今の経済状況。
先が見えない世の中、我々ITエンジニアはどのように生き抜いて行けば良いのだろうか?
技術革新がより早くなっていく時代において、何を身につけておけば良いのだろうか。
ところが。。
約4年前、これらの状況を打破すべく、1人のエンジニアが立ち上がった。
彼は、先の見えないサラリーマン人生とは決別すること決め、
会社内で我がモノ顔であったコンサルタント達を見返すため、独立して成功することを誓った。
結果、男はこれまでの常識を覆し、いきなり独立初年から、サラリーマン時代の3倍以上の年収を達成。
以後4年間、この水準を維持。
男はエンジニア達が苦手とする「営業活動」をまったく行わず、
しかも「エンジニアにしかできない手法」を用いて、
安定収益を確保する方法を追求し、確立した。
元同僚のコンサルタント達も、男の変貌に大きな驚きを覚えた。
2010年、男は34歳になった。
「プログラマー35歳定年説」まであと1年。
男はここで考えた。
独立することである程度の成功は得られた。
今後はどのようにして生きていこうか。
あと10年後、20年後の自分はどうなっていたいだろうか。
中年代以降の多くのエンジニア達は、
「技術のスペシャリストとしての道」か
「経営マネジメントへの道」への選択を迫られる。
しかし、どちらを選択するにしても、今の日本の経済状況では、
我々エンジニア達に明るい光が見えているわけではない。
男の結論は出た。
継続的にサラリーマンの3倍、5倍稼ぐことができれば、早く資産を築くことができる。
そうすれば、スペシャリストでもマネジメントでもない、「第三の道」が見えてくる。
そう、「アーリーリタイヤ」への道である。
エンジニアとして一番油ののった「20代後半〜40代」の、約15年間。
その間に、安定的にサラリーマンの3倍稼ぐことができれば、サラリーマンを45年間続けたのと同じこと。
40代からは「働いてもいいけど、働かなくてもお金に困らない」という状態を作ることができるのではないか。
そこからは、趣味の幅を広げても良いし、後輩達のサポートをしつつ社会貢献をしてもいい。
それが、エンジニア達の目指すべき「第三の道」といってもいいのではないか。
男の夢は道半ば。
自身の稼ぎのノウハウをさらにブラッシュアップし、
また、これからは『同じビジョンを共有でき、切磋琢磨しあえる』エンジニアの仲間を作っていきたい。
そのためには、自身の経験、培ってきたノウハウを惜しげ無く出していきたい。
自分自身が独立する前に不安だったこと。
実際に独立してみないと決して気づくことのできなかった、「独立の多くのメリット」。
そして、様々な角度から検討した結果得られた、「多くのエンジニア達は今よりもっと稼ぐことができる」という結論。
技術を持っているエンジニアだからこそできる、決して「コンサルタント」や「営業マン」にはできない、安定的な稼ぎ方。
これらの情報を、『仲間達の間で共有し、さらに進化させていきたい。』
これが今の男の目標。
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そこからは、男とのメールコミュニケーションや、Skypeでの対話、対面でのミーティングを通して、新しい道が開けることであろう。
男はあなたとのコミュニケーションの過程で、更に進化できることを信じている。