平山さん ご紹介
1981年に東北大学の工学部を卒業。
専門は金属表面化学、電気化学。
会社は日産自動車の研究所に1999年迄、勤務。
日産では自動車の腐食防止と電気自動車用電池の開発を担当。
当時は専門にかかわらず技術者は皆Unixが使えました。
パソコン等無い時代ですからCAD一つ使うにもパイプとかリダイレクト
とか直接コマンドで売っていたのです。 また実験データを取るセンサー
AD変換も自分たちで作っていました。
1986年に技術者にはMacintoshが与えられそれがパソコンの始めです。
当時、部署によってはNECの98が大部分でRS232Cのネットワークが
当たり前でしたが、開発部門はMacでいこうということになりました。
VAXを通してTCP/IPのネットワークにつながっていました。当時のLANは
イエローケーブルで途中に穴をあけてトランシーバーを取り付けるものでした。
それは自分たちでやったものです。情報技術者はメインフレームやクレイ
の事しかわからなくてUnixやネットワークの事は我々一般技術者の
方がわかっていたのです。
1999年に会社をやめて独立しました。インターネットの黎明期でしたから
Linuxでサーバーをたてれるだけでホスティングの仕事を取ることができました。
また、ヒューレットパッカードのデータセンターに自分を派遣してサーバーの
監視業務を請け負っておりました。 お金は良かったのですが身体をこわし
自営でやるのがむつかしくなりました。 2004より2007まで環境系の
ベンチャーでまたサラリーマンになりました。そこのベンチャーがたちゆかなく
なってきて、2回目の起業をおこなってすぐ、今の勤務先の電気通信工事
の会社の社長に誘われて新事業開発部長のようなことをやっております。
やっと、リハビリ期間が終わったと思いこんどこそ3回目の起業を考えて
おります。前は自己流でやって失敗しましたが、今回はJさん孔明さん
チャーリーさんなどコーチがいらっしゃるのでこころ強い思いがします。
今 構想として考えているのは農業のスマート化です。いずれほとんどが
水耕栽培になるとおもわれるので温室がネットワーク化されてそこに
智恵がはいるものになるとおもいます。とくに危険な野菜が多い
中国で実現できればとおもっております。